在晋董狐筆
2006年2月24日『左伝』。時に前607年、「趙盾、その君を弑す」まで。
趙盾、というとどうしても功罪相半ばという印象が強いのだけれど、
また非常に人間くさいキャラクタでもあり、私は大好きである。
で、『左伝』のこの辺の話を簡素に(かつ無味乾燥に)紹介してみる。
※といっても宮城谷作品等では有名すぎるエピソードだけど
・趙盾は晋の宰相となり、国政の実権を握っていた。
・晋の国主・霊公はこれが気に入らず奇行に走る。
例:楼上からパチンコで道行く人をばきゅーん。現代人そっくりだね!
・趙盾が諫めても、改めるどころか却って趙盾を憎悪し始める。
・霊公の放った刺客が趙盾宅に忍び込んだが、その刺客は趙盾の威に
打たれて暗殺を断念し自害。趙盾は事なきを得る。
※余談だが、『三国志演義』で胡班が千里行中の関羽の暗殺を
諦めるのは多分これが元ネタだと思う。
・今度は宴席にかこつけて殺されかかるが、今度は趙盾にも見覚えの
ない人物によって助け出され、脱出に成功。
聞けばこの人物、かつて餓えて行き倒れていたところを助けて貰った
うえ、母にまで手当てして貰った経緯があったという。
・本格的に身の危険を感じた趙盾は国外への逃亡を図る。が、国境を
越える直前、自分の甥が霊公を殺害したとの報告を受ける。
・趙盾、取って返して事後処理。新君を立てて再度国政に参与。
・しばらくして、太史令の董狐が国史に「趙盾、その君を弑す」と
記した。趙盾は当然クレームをつけたが、董狐は趙盾が霊公を殺した
犯人を罰していない点を指摘し却下。趙盾はそれを受け入れた。
趙盾が危機を脱出する場面など、おいおいそれは演出過剰だろ、という
ツッコミを入れずにいられない面もあるにはあるが、実のところ、そんな
細部は二の次。重要なのは最後のシーンである。
『左伝』では、董狐にはもちろん、趙盾もまた賞賛されている。
タイトルは、『正気歌』(文天祥)からの引用である。
『正気歌』についての詳細は控える(Wikiあたりで結構詳しい)が、
『出師表』と並ぶ中国史上屈指の名文として知られていることと、日本の
幕末動乱期に雨後の筍のごとく湧いて出た自称憂国の志士達が競って
同名の詩で悲憤慷慨の志を歌い上げた事を知っていればよいかと思う。
(なんかひどい言いぐさだが気にすんな。白髪が増えるぞ)
青臭いと言われるかも知れないが、『正気歌』もまた私は好きである。
私的には『出師表』の100倍良い。
まぁ例によって万人にはとうていお勧めできない代物ではあるのだが。
で、特に好きなのが、『正気』がずらりと並ぶ第二段。
その2番目に、例の『晋に在りては董狐の筆』の記述がある。
史実を枉げぬ事で正義を貫くという行為を、己の命を賭けて守ろうとした
董狐を、『正気の人』として文天祥は賞賛したわけである。
つまり、先の「趙盾、その君を弑す」のエピソードは、事実云々の問題
ではなく、正しい事とは何か、という事を人々に伝えたと言うことで、
中国史上の思想を考える上でも重要な事件であったのではないかと思う。
………と、実はこれは全部前置き。本題は休み明けにでも。
趙盾、というとどうしても功罪相半ばという印象が強いのだけれど、
また非常に人間くさいキャラクタでもあり、私は大好きである。
で、『左伝』のこの辺の話を簡素に(かつ無味乾燥に)紹介してみる。
※といっても宮城谷作品等では有名すぎるエピソードだけど
・趙盾は晋の宰相となり、国政の実権を握っていた。
・晋の国主・霊公はこれが気に入らず奇行に走る。
例:楼上からパチンコで道行く人をばきゅーん。現代人そっくりだね!
・趙盾が諫めても、改めるどころか却って趙盾を憎悪し始める。
・霊公の放った刺客が趙盾宅に忍び込んだが、その刺客は趙盾の威に
打たれて暗殺を断念し自害。趙盾は事なきを得る。
※余談だが、『三国志演義』で胡班が千里行中の関羽の暗殺を
諦めるのは多分これが元ネタだと思う。
・今度は宴席にかこつけて殺されかかるが、今度は趙盾にも見覚えの
ない人物によって助け出され、脱出に成功。
聞けばこの人物、かつて餓えて行き倒れていたところを助けて貰った
うえ、母にまで手当てして貰った経緯があったという。
・本格的に身の危険を感じた趙盾は国外への逃亡を図る。が、国境を
越える直前、自分の甥が霊公を殺害したとの報告を受ける。
・趙盾、取って返して事後処理。新君を立てて再度国政に参与。
・しばらくして、太史令の董狐が国史に「趙盾、その君を弑す」と
記した。趙盾は当然クレームをつけたが、董狐は趙盾が霊公を殺した
犯人を罰していない点を指摘し却下。趙盾はそれを受け入れた。
趙盾が危機を脱出する場面など、おいおいそれは演出過剰だろ、という
ツッコミを入れずにいられない面もあるにはあるが、実のところ、そんな
細部は二の次。重要なのは最後のシーンである。
『左伝』では、董狐にはもちろん、趙盾もまた賞賛されている。
タイトルは、『正気歌』(文天祥)からの引用である。
『正気歌』についての詳細は控える(Wikiあたりで結構詳しい)が、
『出師表』と並ぶ中国史上屈指の名文として知られていることと、日本の
幕末動乱期に雨後の筍のごとく湧いて出た自称憂国の志士達が競って
同名の詩で悲憤慷慨の志を歌い上げた事を知っていればよいかと思う。
(なんかひどい言いぐさだが気にすんな。白髪が増えるぞ)
青臭いと言われるかも知れないが、『正気歌』もまた私は好きである。
私的には『出師表』の100倍良い。
まぁ例によって万人にはとうていお勧めできない代物ではあるのだが。
で、特に好きなのが、『正気』がずらりと並ぶ第二段。
その2番目に、例の『晋に在りては董狐の筆』の記述がある。
史実を枉げぬ事で正義を貫くという行為を、己の命を賭けて守ろうとした
董狐を、『正気の人』として文天祥は賞賛したわけである。
つまり、先の「趙盾、その君を弑す」のエピソードは、事実云々の問題
ではなく、正しい事とは何か、という事を人々に伝えたと言うことで、
中国史上の思想を考える上でも重要な事件であったのではないかと思う。
………と、実はこれは全部前置き。本題は休み明けにでも。
コメント