お仕事。あと10日ほどが勝負期間とあってどたばた。
今週末は休めそうだが遊ぶ気力はなさげ。


『曹植』のこと。
今日は文化の日という事でこんなタイトルにしつつ、今度は彼の視点。
前回書いた周囲の状況を、彼自身は認識していたのか、どうか。

吁嗟篇で詠うがごとき境遇から抜け出す意図か、或いは自身の才を振るう
場を得るためか、おそらく双方の目的で彼は度々官を求めており、また
その書簡の内容で彼のやる気の程も十分に推測出来る。
しかし彼は、自分が官に就き、権力を得るという事がどういうことか、
理解していたのだろうか。
或いは理解していたのかも知れない。だがそれを承知で官途を望んだと
いうのなら、かれは後の混乱を覚悟の上で、自らの意欲を満たす行動に
出たという事である。

曹植の詩は確かにすぐれている。喜怒哀楽、とりわけ悲憤慷慨の表現は
素晴らしいと思う。
だが感情というものは、常に政事の対岸にのみ存在する。
文弱の徒であった、とまで言うつもりはないが、結局曹植は詩人の域を
出ていなかった、と私は断ぜざるを得ない。
為政者としての資質を語るなら、文学を国家論まで昇華させて『典論』を
著した曹丕と、比較すべくも無いと思うのである。

当然といえば当然だが、曹植は結局用いられる事なく生涯を終える。
そして後世、曹植は悲劇の貴公子として、曹丕は冷酷な専制君主として
評されてしまうのだから難しいものだ。


つづく。

今回は何となくデジャブを感じつつ書いていたのだけど、よく見ると
つい数日前に読んだ『ローマ人の物語』19巻の、ティベリウスと
ゲルマニクスの関係に似ていると気づいた。
本人同士ではなく、皇帝に対しての同時代〜中世の史家の評価が低くて
(しかも皇帝が対抗者?を排除しようとしていた事になっていて)、
近世〜現在の史家の評価が高い、というあたりがそっくりだ。

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