文章は経国の大業にして不朽の盛事なり
2005年11月3日お仕事。あと10日ほどが勝負期間とあってどたばた。
今週末は休めそうだが遊ぶ気力はなさげ。
『曹植』のこと。
今日は文化の日という事でこんなタイトルにしつつ、今度は彼の視点。
前回書いた周囲の状況を、彼自身は認識していたのか、どうか。
吁嗟篇で詠うがごとき境遇から抜け出す意図か、或いは自身の才を振るう
場を得るためか、おそらく双方の目的で彼は度々官を求めており、また
その書簡の内容で彼のやる気の程も十分に推測出来る。
しかし彼は、自分が官に就き、権力を得るという事がどういうことか、
理解していたのだろうか。
或いは理解していたのかも知れない。だがそれを承知で官途を望んだと
いうのなら、かれは後の混乱を覚悟の上で、自らの意欲を満たす行動に
出たという事である。
曹植の詩は確かにすぐれている。喜怒哀楽、とりわけ悲憤慷慨の表現は
素晴らしいと思う。
だが感情というものは、常に政事の対岸にのみ存在する。
文弱の徒であった、とまで言うつもりはないが、結局曹植は詩人の域を
出ていなかった、と私は断ぜざるを得ない。
為政者としての資質を語るなら、文学を国家論まで昇華させて『典論』を
著した曹丕と、比較すべくも無いと思うのである。
当然といえば当然だが、曹植は結局用いられる事なく生涯を終える。
そして後世、曹植は悲劇の貴公子として、曹丕は冷酷な専制君主として
評されてしまうのだから難しいものだ。
つづく。
今回は何となくデジャブを感じつつ書いていたのだけど、よく見ると
つい数日前に読んだ『ローマ人の物語』19巻の、ティベリウスと
ゲルマニクスの関係に似ていると気づいた。
本人同士ではなく、皇帝に対しての同時代〜中世の史家の評価が低くて
(しかも皇帝が対抗者?を排除しようとしていた事になっていて)、
近世〜現在の史家の評価が高い、というあたりがそっくりだ。
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