お仕事の後始末。やることはやったので後はメンテ。
体力ががたおちしているので早めの帰宅。
21:00が早いか否かとか人としてどうかとかはどこかに置いといて。


%たいとる%。
といいつつ、今回は曹丕中心で考察。

曹丕には、嫡子という自負があり、従って後継者となるに意欲はあった
ことは、疑問を挟む余地はない。というより、後を継いで当然、と考えて
いただろう。無論、登極をも視野に入れた上で、である。
またその経綸は『典論』などに顕れているとおり、無知無能とは程遠い。
では、曹植というライバル?に対してはどうだったのか。

『演義』では、立太子の前から曹植に悪意を持っており、自身が皇帝に
なって早速曹植を誅しようとしたものの、例の七歩詩によって「負けた」
ために命だけは助けざるを得なかった、という程度の扱いである。

一方で、『曹植』では比較的、曹丕を好意的に見ている。あれはあれで、
曹丕は出来る限り曹植を弁護している、というのである。
確かに、取り巻き達の殆どを誅しながら曹植本人には手を下していない
あたり、この後継者争いの本質を見抜いているように思う。

私は、ごくごく単純に考えて、曹丕は曹植に対し、ありとあらゆる面で
譲歩するわけには行かなかったのではないかと思う。単に彼自身の意欲
というだけではなく、庶子が家を継ぐという前例を作る事の弊害を避ける
という意味においても、である。
だが、曹植がこの兄を敬っていた事は間違いなさそうであるし、曹丕も
決して、曹植という弟を嫌っていたとは、私には思えない。
ただ曹丕は基本的に底意地が悪いので、好意を素直に出す事は無かったとは思うが。

もう一つ考慮しなければならないのは、曹丕の政策自体に、皇族の力を
弱める意図があった、という点にある。
ようするに、重用されなかった皇族は曹植だけではないのだ。
この点、Wikipedia では「後継者争い防止が目的」としているが、妥当な
評価だと思う。曹植に関しても、勢力形成を嫌って取り巻きだけ潰した、
と考えればこの政治的意図とのつじつまはあう。
(この点、九品官人法の適用と何か関係があるのかも知れない。が、
 私が調べた範囲では結びつかなかった。識者の指摘を乞う)

曹丕は後継者争いの残り香を出来る限り消しにいった、という事である。
まして、宮廷内に隠然たる勢力をもち、曹丕の死の際もその名が上がった
という曹植に対してであり、しかも彼自身を殺さずに………となれば、
腐心の程は想像に難くない。


つづく。
当初の方向性とは違うような気もするけど書いてて楽しいからいーや♪

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