女神とリアルシャドー
2005年8月13日M:tG の日。
今日はドラフト無しでまったりまったり。
飲みは川口『土間土間』。
チェーンの割に店員・料理・雰囲気など全体的にクオリティが高くて
好きな店の一つ。値段もちょっと高いけどドントケアー。
というかせっかく大塚にあるのに利用しないのはもったいないと思うの
だけれど。 >メコンデルタ方面メンツ
『曹植』のこと。
曹丕・曹植の確執?を語る以上、避けて通れない人物が居る。
曹丕夫人・甄氏についてである。
よく知られているのは、
?袁氏討伐戦にて曹丕が袁煕夫人・甄氏を奪い、正室とした
?曹植は、兄嫁となった甄氏に横恋慕していた
?曹丕即位後、側室・郭氏は甄氏を陥れ、死に追いやった
?曹植は甄氏の死を嘆き、『洛神賦』を書いた
?曹叡は『洛神賦』で母・甄氏を穢されたと思い、曹植を疎んじた
陳舜臣の影響が強いような気もするが、まずこんな所だろう。
(『蒼天航路』でも触れていたような気もするが、イマイチ覚えてない)
といっても、これらの話の筋道はもちろん陳氏の創作ではなく、出典は
『文選』李善注までさかのぼる。
とはいえこれも結局、後代に附会された設定、という見方が濃厚だ。
第一、『魏志』陳思王伝にはもちろん、その裴注にすら、”甄”の字は
一つとして出てこないのである。
?については、一応史実。
但し誇張はあるようで、正史では非常にあっさりと書かれている。
袁煕に嫁ぐ前、また曹丕夫人となってからのエピソードには事欠かない
甄氏なのに、キーとなるこのシーンがなぜここまで簡潔なのか、確かに
理解に苦しむところである。
要するに、読み手がどう行間を埋めるかにかかっている。
悪く言えば、邪推し甲斐があり、ねじ曲げ甲斐もある。
?は?から導き出されたと思われる話である。
この設定がメジャーになったのは初唐頃?らしい。
?はまぁ、書き方次第と言おうか。単に曹丕の寵愛が薄れた事に、甄氏が
ブツクサ言ったことで曹丕が怒ったというのが実情。
私個人としてはこの事件の背景に少なからず疑問も意見もある。が、
それは今回の本題からそれるので言及しない。
で、?がその本題。
『洛神賦』のあらすじは、作者つまり曹植が洛水の女神と出会い、戯れ、
別れるというもの。
で、実はこの女神は甄氏をモデルにしているんだよ、もとは『感甄賦』と
いうタイトルだったんだよ、というのが今回の疑惑の元ネタだ。
なお、この女神のモデルは曹丕であり、曹植は曹丕への尊敬と思慕を賦に
した、という説もある。……が、さすがに強引な気がする。
?もやはり?に関連。さらに、『感甄賦』が『洛神賦』に変わったのは
それを聞いた曹叡が怒ったからだともいう。
まぁ、結局はこれまた曹植贔屓の創作なのだろう。下手人が『文選』を
注釈した李善なのか、李善の引用元なのかはさておくとしても。
私的に興味深いのは、例の如く李善注釈の成立時期。
これが、隋から唐への過渡期。つまりこれは、裴注や『世説新語』よりは
後であるものの、曹植が「詩聖」の名を維持していた時代とは一致して
いるのだ。当然、『世説新語』同様の疑念も生じてくる。
もっともこの疑惑は、『洛神賦』が、歴史ロマンチシストの想像力を
かき立てるに十分な内容を持っている、という証明でもあるだろう。
そしてその想像から、曹植の兄嫁への憧憬とそれによる曹丕との不和・
反目、魏の後継者争い、あるいは甄氏の死の謎、曹植の不遇の原因、
などなど色々と話が広がってくる。
皮肉な言い方をすれば、物語の書き手には重宝する設定なのである。
だからここでは、
「甄氏にまつわる一連の話が、もし後代の附会であるのなら、
曹丕・曹植が不仲で後継者争いをしていたという説は、
一つの論拠を失う」
ことを言及するにとどめる。
つづく。
なんかいろいろ調べていたら疲れ始めた。すこしペースを落とそう。
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