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2005年7月13日信長の出自(自称だが)について興味がわいたので、少し調査。
織田氏は当初は藤原を自称していたが、後に平氏に変えた…という事は
わりと有名なのだが、私はこれをちょっと勘違いしていたようである。
平氏自称は信長ではなく、その父・信秀の代からだと思っていたのだ。
尾張管領である斯波氏は足利氏の分家。という事は言うまでもなく源氏。
それを傀儡化したのはとうぜん源氏への対抗…と考えていたのである。
まったくの無知浅慮で、お恥ずかしい限り。
さて、現在残っている記録で、信長が平氏を自称し始めたのは元亀二年
(1571)らしい。
この頃、足利義昭との関係は逆の意味で燃え上がっており、既に五ケ条に
わたるイチャモンを終え、十七ヶ条の最後通牒を突きつける直前だ。
「源氏の世は終わった、世代交代すべきだ」
という意志を込めて平氏を自称した、という説が一般的な見解になって
いるのもうなずける。
しかし、単なる意思表示だけでなく、もしかしたら政治的意図があった
のではないか、と思ってほかの戦国大名の出自も調べてみた。
で調査の結果、なんというか、平氏は非常にすくない事が判った。
これまでが源氏の世なのだから当然、という向きもあるかも知れないが、
それにしても極端と思えるほどである。(大物は蘆名氏くらい?)
義昭の暗躍によりこの時期の信長には敵は多かったが、少なくともこの
包囲網の一翼を担った大名に平氏は居ない…というか大半は源氏。
とすると信長は、意思表示を通り越して”啖呵を切った”ようにも見えて
くる。
# ま、出自云々で”票集め”が出来ると解釈するのが間違いかもね。
# あんな時代だし。
信長は志半ばにして斃れた。
義昭はそれより15年生きたが、もちろん昔日の姿には戻り得なかった。
結局、征夷大将軍は再び(これも自称だが)源氏である徳川家に渡った
というのは歴史上の一つの皮肉であろう。
ちなみに白村江についてはまったくと言っていいほど知識がないので
コメントを控えましゅ。
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