塩野七生作品のこと
2005年1月28日月例会議のためみなとみらいへ。もっとも、この会議は再確認の意味合いが強く、午前中で終わる公算が大きい。
しかしこの会議は、終了後のランチが大きな意味を持つ。
私の職場は昼食の選択肢が殆ど無いので、こういう機会は逃せません。
そしてそれは、会議出席者の大半が共通で認識している事柄。
さぁ今日はどこに行こうか?
……
僅か1時間で会議が終了。コンビニで昼飯買って職場に直行。がくーん。
しかも終電まで残業してるってのはどーいうことか。
『レパントの海戦』読了。期待を超える程ではないが、まず期待通り。
もっとも、ハズレる心配の少ない書き手ではあるけれど。
ところで、私は女性作家による歴史物語をあまり読みません。
理由は、歴史物語として相応しくない描写にページを割く事が多いから。
他でもない、「女性に出しゃばらせる」という事がイヤなのです。
ただ、これを単純な男尊女卑と見なさないで戴きたい。
私は、歴史が好きだから歴史物語を読んでいるのです。
それらは主に封建社会の、つまりは過去の物語。
平塚らいてう的に言えば、女性が月であった時代の事。
そんな時代の中で、女性を中心にして歴史の流れが見えるのか。
女帝にしろ女傑にしろ、まず例外の部類に於いてしかあり得ません。
少なくとも、普通の女性では不可能と言えます。
しかし多くの女流作家による歴史物は、妙にこれが多いのです。
私はそれを適切とは思いません。
普通の物語なら――女性が太陽になった(かどうかは判らないけど)以降か、もしくは単に月である女性の魅力を書いた物語なら――不満はありません。
ただ歴史小説に於いては不適切ではないか、と思うだけです。
逆説的になりますが、これって、「現代小説で男尊女卑を当然とする」位に場違いじゃないですかね?
そんな中、塩野七生は、私にとって数少ない例外となります。
この人が、歴史物語の女性を、その時代の一人物として描写できる一つの理由は、作家個人の力量もさることながら、歴史に於ける女性のテリトリーを理解しているから、と思っています。
これは、私がこの人の作品をひいきにしている理由の一つでもあります。
もちろん、ひいきの理由はこれだけではないんだけど(笑)、こういう妙な評価をする人間は少数派なんだろうなぁ。
まぁ所詮は既知外の戯言と言うことでご容赦を。
今日の人狼ぽーたぶる@TM人狼隊。
1戦目、11人。狂人。朝適当に「あいつは白だ」と指さしてみる。
その指の先には「あいつは白だ」と私を指さす人がいる。鏡ですか?
そして横でも、別の人を指さしている人がいる。この人がまず吊られる。
翌日、鏡が分際を弁えず「あいつは黒だ」と他人を指さした。
横では「昨日、黒吊れたよ」と報告する人が居る。
ふーん。
気を取り直して2戦目。12人、村人。3分村。
初日、占い黒ヒット。とりあえず吊ってみる。
翌日、占い黒ヒット。とりあえず吊ってみる。
ふーん。
間をおいて3戦目。10人、人狼。
………壮絶なバカ村。(褒め言葉)
あまりのバカっぷり(褒め言葉)の為、封印。
しかし、女子中学生が人狼か……どびっくり。
………寝よう。
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